独学 TOEIC

ここで、なぜ私がこんな記事を書いているのか、そのルーツを辿ってみましょう。

実は、きっかけは身近に!意識高い系になったきっかけ~はじめの一歩~の中で書かれている、

「なぜ私がこのようにウェブページを立ち上げ、ブログを書いていこうと思ったのか、その経緯に至るまで」

を紹介するためでした。その第一STEPとしてダイエットがあり、そのルールや経過に関して紹介させていただいていました。TOEICは、いわばその第二STEPです。
今回からは、めちゃくちゃ英語が苦手だった私が、TOEIC650点を目指すことになった経緯とその勉強方法および経過と結果に関して紹介していこうと思います。

英語に対する拒否反応の原因

英語拒否

実は、遡ること当時小学生6年だった私は、公文式に通い一足早く英語の勉強をしていました。ただ、当時は全く勉強なんかやる気がなく、公文で与えられる課題もとりあえず答えを書いていただけだったので、ちっとも身になっていませんでした。そんなあるとき、英検5級の受験を勧められ、それがどんなものなのかも分からず言われるがままに受験したところ、見事に不合格でした。

中学に入ってからいよいよ英語の勉強が始まったわけですが、最初からやはり苦手意識が多少はありながら、中学2年の秋くらいまでは丸暗記とごまかしで何とか乗り切っていました。ところが、はっきり覚えているのは中学3年で初めて見た現在完了形。これに全くついていけずに四苦八苦し、結局きちんと理解できないまま暗記と単語の並びの法則だけで対応していました。これにより、英語に対しては完全なる拒否反応の素地が出来上がってしまったのです。

英語拒否少年のエスケープ

中学3年でほぼ完全なる英語拒否少年になってしまった私ですが、高校受験は上記の暗記と法則性で何とか乗り切りました。ところが、私が入学した高校の英語はけっこうなハイレベルで、教科書のほかにサイドリーダーと呼ばれる読み物があり、そのサイドリーダーの内容も、ギリシャ神話やら中学卒業でいきなり読むにはかなりハードルが高いものでした。
初めてのテスト時には、A4の用紙4~8枚にびっしり英文の問題文が書かれ、予め読んで内容を知っていないと到底対応できない量のボリュームが出題されていたため、テストの解答はほとんど当てずっぽう状態でした。

英語拒否少年はこれにより完全ノックアウト。英語の勉強をやらない!というエスケープ行動に走ってしまったのです。高校1年の夏を前に英語のない生活をはじめ、当然成績が悪かったため長期休みの補修に呼ばれる常連になり、何とか単位だけはギリギリで取るということを繰り返していたため、英語力は中学3年、下手すると2年生レベルに留まったまま大学受験のシーズンを迎えてしまうのです。

英語拒否少年の苦悩

苦悩

さて、こんな英語拒否少年でしたので、大学も可能な限り英語がないところを選ぼうと必死にはなりました。が、やはり将来を考えて大学や学部を選ぶと、ほとんどの大学、学部の受験に英語が必要で、しかも、センター試験と二次試験の両方をクリアする必要がある現実を突きつけられました。

そこで私が取った作戦は、「センターだけ乗り切って、あとはその惰性でどうにでもなれ」作戦でした。つまり、ひたすらセンター試験を目的とした勉強だけに特化し、二次試験はそのセンター試験の勉強で得た知識だけで対応することを決めたのです。とはいえそれまでほとんど英語の勉強をしていませんでしたので、苦痛以外の何物でもありませんでしたが、そのおかげ(?)か、センター試験は極端な点数の落ち込みなく乗り切り(たしか155点/200点)、二次試験は他の科目でカバーできたのか、これまた大学受験も乗り切ってしまったのです。ちなみに、本番の155点はまぐれで、当日までの模試の点数はおおよそ120点前後で安定して低かったです。

英語拒否少年の成れの果て

なんだかんだで大学受験までは乗り切ってきてしまいましたが、大学に入り、英語の勉強はまたしても一切やらなくなりました。単位もギリギリ取れた程度で、中学3年生レベルの英語からさらに低下していきました。ところが、大学4年を迎えてたまたま自分が入った研究室の教授は英語に厳しく、毎週の研究の報告を英語でしなければなりませんでした。その場で教授にこんなことを言われました。

「Your English level is very very low! 」

ちなみに、卒論発表も12分全て英語でプレゼンしなければなりませんでしたが、これもまた丸暗記で乗り切りました。いまでこそ卒論発表を英語で行うことは当たり前の時代なのかもしれませんが、当時はかなり厳しい要求で、このときはある意味観念したという感じで、仕方なく調べては暗記するやり方で乗り切りました。

英語拒否少年が社会人になると

英語できない

社会人になった私は、やはり英語を拒否する生活を続けました。入社1年目の5月に、新入社員全員がTOEICの受験を義務付けられており、初めてTOEICを受けた時の点数は、なんと、、、

395点

でした。全部勘で解答するより少しできた程度。まぁひどいもんです。

入社2年目のあるとき、職場で突然「TOEIC選手権」なるものをやらざるを得なくなり、再び挑んだTOEICでは、

380点

でした。周りのメンバーからは、バカにもされない憐みの目で見られていたような気がします。

とまぁ、こんな英語力だったわけです。

 

そんな自分がなぜここから英語を勉強しようと思ったのか、その勉強法等は、次回以降で紹介していきます。

乞うご期待!






コメント

  1. […] 前回、私が如何に英語が苦手だったのかを紹介してきました。 TOEIC650点への道~Before~ […]

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