前回は、海外のカンファレンスに参加して私が受けた衝撃について紹介してきました。
(Conferenceへの参加~PETnology2015~)
今回は、私が転職という決断に至るまでの経緯を紹介していきます。
そもそも転職は頭の中にあった
実は、転職という選択肢そのものは、3年前くらい、つまりダイエットを始める前から頭の中にはありました。(きっかけは身近に!意識高い系になったきっかけ~はじめの一歩~)転職サイトにも登録はしてあって、求人情報がたまにメールで送られてくる、というくらいまでは動いていました。
ただ、実際に転職しようということは、転職ボルテージでいうと2%くらいの非常に小さなものでした。勇気がなかったと言えばそれまでですが、身近に前向きな転職するような人も少なく、どうなってしまうか怖かったというのが当時の気持ちです。
当時の私の仕事と置かれた環境
前回の記事でも少し触れましたが、私は東証一部上場企業の包装容器メーカーで、PETボトルの開発業務を担当していました。新開発案件全体のプロジェクト管理と試作・評価・デザインレビューの取りまとめが主な任務でした。プロジェクトの管理というと聞こえは良いかもしれませんが、CADでモデル設計ができるわけでもなければ、CAMで加工工程設計をするわけでもなく、ましてや工作機械を使うわけでもなく、かといって品質管理的な手法で設計を主導しているわけでもなく、受け継がれてきた過去の経験と試作結果を踏まえて問題抽出・課題形成し、まとめて報告して量産化に繋げる、いわゆる生産技術に近い領域が仕事の中で大きなウエイトを占めていました。つまり、何か特別なスキルは必要ないポジションなのです。
一方では、新技術の開発は停滞する市場を踏まえると会社としての大きなテーマでもあり、そのような仕事もあるにはありました。が、如何せん化学系出身なこともあり、メカニカルな部分は少し抵抗があったため、あまり深入りはしていませんでした。
自分の価値を高めていくには、前途のようなマネジメントの領域か、技術開発者としスペシャリストを目指すのか、どちらかに軸足を定めないといけないかなと、やんわりとは考えていました。
STEP-1 ゼネラリストかスペシャリストか
上記のような仕事環境の中に置かれていた状況で、前出の海外Conferenceに参加したのです。
「世の中のスペシャリストはどんな技術を発表するんだろう?」
という期待を胸に実際に参加してみたら、感化されたのはスペシャリストの技術ではなくそのマインドでした。特許だけは押さえて他社がそのままマネできないようには最低限しておきながら、売れるか売れないかもわからない、量産品として完成もしていない技術を発表して、フィードバックをもらうことと、あわよくばそこから先のパートナーを見つけようという姿勢は、非常に素晴らしいものだと感じました。
世界の舞台ではそれが当たり前なのかもしれませんが、日本企業でそれが積極的にできるレベルに到達することは、当時の自分からは想像できませんでした。しかも、その発表者は自分と同じ年くらいかもっと若い人もいる。
少なくとも、今の仕事の環境にいたのでは、技術開発者としてスペシャリストにはなれない、そもそも、望んで仕事をすることはほぼなかった自分が社内調整役として抜擢されることが多くなっているということは、自分の得意な領域がその部分でもあり、自分はゼネラリストだ、そう思いました。
STEP-2 真のゼネラリストへ
ゼネラリストになることを心の内に決めた私でしたが、一抹の不安を抱えていました。社内でマネージャーやゼネラルマネージャーに昇格していく人はそれほど多くはありません。自分がゼネラリストとして生き残っていくためには何をしたら良いのか。また、当時34歳だった私ですが、マネージャーになれるのが約10年後と、かなりの年月が必要でした。
そんな中、ついに会社は大きな決断をしました。それが、
「希望退職募集」
です。
この希望退職の対象者は45歳以上の社員でしたので、当時の私は対象ではありませんでした。
しかしながら、ここで退職されていく方々を考えたとき、
「そのあとどんな仕事をしていくんだろう」
という疑問と不安が湧いてきました。
特に、社内でしか通用しない技術者やマネージャークラスの人たちは、世間ではどのくらいの受け入れ先があるのかがとても気になりました。
仮に10年後に自分がマネージャーになったとしても、今後のPETボトル市場の縮小を考えれば、再び希望退職という選択がないとは言い切れません。
その際、社内でゼネラリストになっても会社の看板を外したら「ただの人」である、という事実に気が付きました。自分がどんな仕事をしていたいかと言われればゼネラリストでしたが、どんな人間になっていたいかと聞かれたら、個人として自立した人間でもありました。つまり、今の環境にいても、自分が思い描く将来の自分にはなれないことに気が付いたのです。
STEP-3 決断と覚悟
今は少し違うのかもしれませんが、転職市場は35歳が上限と言われていましたので、年齢的にも最後のチャンスかなと思いました。当時子どもが3人いて怖さもやっぱりありました。妻も含めて路頭に迷わすわけにはいかないという気持ちもありました。ただ、それ以上に、自分の夢を叶えられないでモチベーションが上がらずに仕事に向かう背中を子どもに見せるより、生き生きと仕事に向かう姿を見せることが、家族にとっても良いはずだ!と思い直すと同時に、それでも躓いたときには努力で補いお金は稼ぐという覚悟を決め、転職という結論に至りました。
ちなみに、最後の「躓いたときには努力で補う覚悟」は、やはりダイエットの成功体験とTOEICの目標到達によって得られた自信があったからこそできた決断だったと思います。
さて、かくして転職の決断をしたわけですが、どのように転職活動を進め、どんなことを考えたか、次回以降で紹介していきます。
乞うご期待!
コメント
[…] 転職活動をするに至った経緯は、前回の記事でも紹介してきました。 (>>そして転職へ) […]